『日本建築の独自性』

ーー古代・中世の社寺建築

濵島正士


定価: 3,080円
発売日: 2015年7月31日
判型/頁: 四六判 上製 320頁
ISBN: 9784906822638

中国の影響を、二度も受けながら発展してきた、神社・寺院に共通する日本建築の独自性とは?

◉俵屋宗達の『風神雷神図屏風』は、晩年に描かれた傑作である。
◉光琳は宗達を乗り越えようとして、琳派を大成した。
◉江戸狩野派は粉本主義によって疲弊し、探幽・常信以降は見るべきものがない。
◉応挙が出て京都画壇は一変した。
◉秋田蘭画は秋田で描かれた。
◉封建社会の江戸では、閨秀画家の活躍の場は少なかった。
◉上方で大成した南画は、谷文晁によって江戸に広められた。 ほか

<五重塔と私>

 大阪府に住んでいた関係で、京都や奈良の神社・寺院を見に行く機会が多く、なんとなく社寺建築が好きになった。それで大学は、工学部建築学科に入り、野地修左先生の日本建築史の講義で古建築と歴史のおもしろさを知り、文化財保存の道へ進むこととした。

 

<海住山寺五重塔との出会い>

 ところで、私の旧著『美術館商売』(勉誠出海住山寺五重塔との出会い「美術館の常識は非常識」という項がある。これは、美術館業界でそれまで常識とされていたことが、じつはお客さんに「美術運よく京都府教育庁文化財保護課に就職することができて、国宝・重文建造物の修理工事に従事し、二つ目の現場が海住山寺五重塔の解体修理であった。そのあと文化財保護委員会事務局(現、文化庁)建造物課へ移動したが、海住山寺五重塔を担当したことがきっかけで、公務の合間に塔の調査研究を少しづつはじめるようになった。

 五重塔は日本の近世以前では唯一の高層建築であり、街なか・在郷あるいは山地にあっても目につきやすいランドマークとして、近在の人たちにとって、また遠来の参詣者にとっても親しみやすい存在であったと思われる。構造形式の緻密さ、意匠のよさ、周辺環境との調和、さらには地震にも屈しない強さが、見る人たちに安堵感を与えたことであろう。
海住山寺五重塔(京都、一二一四年)は、総高さ一七・七メートル、現存する二二基の五重塔(近世以前、屋内の小塔を除く)のうち、室生寺五重塔に次ぐ小さい塔であるが、姿かたちはやや無骨な感がある。構造形式は、初重に吹放しの裳階をつけ、各重の組物を二手先とし、(通例は三手先)、初重内部では四天柱内を厨子状に造り、舎利塔を本尊として安置するなど、類例のないところがある。

 この塔の修理工事は、鎌倉時代の知られざる技術の解明、予想しなかった裳階の復原などがあり、加えて山中の現場事務所に泊まりこんでの自炊生活でもあって、青春時代の忘れえぬ思い出となった。

<醍醐寺と羽黒山の五重塔>

 姿かたちの美しい塔としては、醍醐寺五重塔(京都、九五一年)がある。プロポーションは相輪が大きくて総高さの三分の一を占め(標準的な塔で三割)、柱間の逓減は五重が初重の六・二割(同七割)、縦と横は塔身高が初重柱間の三・八倍(同四倍)で、力強く安定感があり、現存五重塔のうちの最高傑作といえる。

 もう一基、私の好きな塔として、羽黒山五重塔(山形、一三七七年)がある。プロポーションは、塔身部が少し細長くなり、相輪が短めで時代相応といえるが、細部の造りは正統的な手法で、地方の山中にありながら洗練されている。修験の山、羽黒山の中腹から山頂にいたる旧参道脇の杉林の中にひっそりと建っていて、四季それぞれに趣があるが、なかでも冬の雪に埋もれた姿はけなげであり、神秘的でもある。

●濵島正士(はましま・まさじ)

1936年、大阪府生まれ。神戸大学工学部建築学科卒業。文化庁文化財保護部建造物課、国立歴史民俗博物館を経て、現在、(公財)文化財建造物保存技術協会会長。神社建築、寺院建築に関する著書多数。

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